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日本料理店店主 長谷川在佑氏インタビュー | JAPAN TWO

日本料理店店主 長谷川在佑氏インタビュー

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東京、神保町にある日本料理店「傳」の店主である長谷川在佑氏。開店からわずか3年目にして、ミシュラン2つ星を獲得し、注目を浴びている。長谷川氏の目指す「新しい形の日本料理」に込められた強い想いとは。

料理の道に進まれたきっかけを教えて下さい

長谷川在佑氏 (長谷川)

小さい頃から、食べることが大好きでした。というのも、僕の母親は花柳界の芸者なんです。母親が仕事先の料亭から、お土産やお弁当を持って帰ってきてくれることが嬉しくて、とても楽しみにしていました。1本5000円もする太巻きなんかを食べていたんです。そこから食に興味を持って、料理に携わる仕事をしたいと思うようになりました。

また幼いころは、勉強をするよりも何かを作るほうが好きだったんです。でも、家庭科の成績は1でしたけどね。(笑)家庭科の料理って調理方法が決まってるじゃないですか。小さい頃から良い食材を教えてもらっていたので、この魚ならムニエルよりもこっちの作り方のほうがおいしいとか。先生の言われた通りに作らなかったんですよ。昔から表現の仕方には、こうしたいっていう自分なりのこだわりがあったんですね。

では、実際にお店で働き始めたのはいつ頃ですか?

長谷川

高校を卒業して、18歳のときに布団だけを持って住み込みで働き始めました。東京の神楽坂にある料亭で、母親が働いていた店です。周りからしたらコネじゃないですけど、厳しく見られるのが嫌で。初めは親子だってことを気づかれないようにしていましたね。だから母親が仕事で店に来ても、お互いに会話は一切しませんでした。

料理の世界で、高校を出てすぐに住み込みで働くというのは、今でも一般的なスタイルなのでしょうか?

長谷川

最近は専門学校に行く子が多いです。僕の場合は教わるのではなく、少しでもお金が欲しかったんです。早く自立したかったし。住み込みで働けば、家から通う必要もないですし、ご飯も食べさせてもらえて、お小遣い程度でもお金がもらえる。どっぷり料理の世界にはまることができるなと思いました。授業を受けるよりも、実践的にやるほうが向いていたんでしょうね。料理の専門学校で友達と仲良く教わるのとは違って、仕事を覚えなきゃ先輩から怒られるし、やらなければいけないっていう危機感がありますから。

そこからご自身のお店を開くまでは、ずっと同じ料亭で修業を積まれていたんですか。

長谷川

その他に、紹介してもらった店で手伝わせてもらったりもしましたね。それで、29歳のときに自分の店である「傳」を開きました。

29歳で自分のお店を開くというのは、とても速いスピードだと思うのですが、お店を開こうと決意された理由は?

長谷川

簡単に言ってしまえば、自分の好きなようにできるのが一番大きな理由だと思います。色々な料理人の方がいて、それぞれの店があります。その中で、料理を続けていくうちに、自分のやりたいカタチが定まってきたんです。やっぱり、雇われていると自分の表現したいものや伝えたいことがあっても、料理長やお店の考え方や方向性にどうしても従わざるを得ません。だから、自分で責任を持って新しい形をやっていきたかったんです。

それと、日本料理には料亭のような高級店と居酒屋の間がないんですよね。フランス料理だと、グランメゾンやビストロみたいに色々なレストランの形があります。僕らみたいな20代後半から30代前半の世代って、居酒屋でわいわい騒ぐのが終わって、家族や大切な人、仲間とちゃんとお酒を飲んで食事を楽しむということをはじめる時期だと思うんです。それができるような場所、店を作りたかったんです。料理もいわゆる堅苦しい日本料理ではなく、新しい形の日本料理に挑戦していこうと思いました。

新しい形"というのは?

長谷川

日本料理って幅がないんです。料亭に行くと大体1人5万円くらいの値段で人数分を作ります。でも、お客さんの中にはおじいちゃん、おばあちゃんから子供までいるのに、出される料理の量は一緒です。もちろん、食べきれずにたくさん残って戻ってきます。洋服だったら、SS、S、M、Lっていう幅があるじゃないですか。だけど、日本料理は全てフリーサイズです。子供にフリーサイズの洋服を着せるのと同じ感覚。オートクチュールのように、1人1人にあったサイズがないんですね。僕はそうじゃなくて、その人に合ったものを作りたい。これって日本人のおもてなしの気持ちに通じる部分があると思います。

長谷川さんが考える、日本人のおもてなしの気持ちとはどのようなものですか?

長谷川

日本人にあって、外国人にないものがおもてなしの気持ちだと思います。サービスって、外国の場合はチップと交換でやってもらう感覚がありますよね。でも、日本人はそうじゃなくて、喜んでもえればそれで良いっていう"奥ゆかしさ"がありますよね。

例えば、「今日は風邪気味なんだよね。」っていう話をしたときに、「カレー、かつ丼、牛丼しかありません。」ではなくて。「じゃあ、御粥にしましょうか。」というような歩み寄り方っていうものがあると思います。これが日本人のおもてなしの気持ちなんじゃないでしょうか。僕はこのおもてなしの気持ちを料理で表現したいです。

日本料理以外の料理の道に進もうとは考えなかったんですか?

長谷川

今だったらフレンチの道に行っていたかもしれないですね。(笑)やっぱり料理が好きだし、仕事をしていると色々なことに興味が出てくるんですよ。だから、他の調理方法とか優れたシェフの技術も見たいし、もっと勉強してみたいですね。でも、ベースは日本料理じゃないと僕はだめです。

それは、やはりご自身が育った環境やご自身の経験が影響しているのでしょうか。

長谷川

そうですね。日本人だから、日本の良さを伝えていかなきゃいけないっていう想いはとても大切だと思います。このまま日本が衰退していったら嫌じゃないですか。外国に日本料理店はたくさんありますけど、ちゃんと日本人が作っている日本料理は少ないですよね。今でこそ、日本人のシェフが外国で日本料理のレストランを始めたりもしていますけど、もしそれが進んだら日本料理を求めて日本に来る外国人がいなくなってしまうんじゃないかと思います。だったら、僕は海外からお客さんを呼べるようなお店を、日本で作ろうと思ったんです。豊富な食材とか、四季、日本人独特の文化を大切にしたお店にしたいと考えています。

お話を聞いていると、「これからの日本のために」という想いを強く感じます。どこからそのような想いがくるのでしょうか。

長谷川

フレンチやイタリアンと比べると、日本人で日本料理を作る人って意外と少ないんですよ。この前も、「なんで日本人は、専門学校で日本料理じゃなくてフレンチを教えるんだ。」って外国人のシェフに驚かれました。「日本の料理に誇りを持っていないのか。」って言われてしまいました。

あと、今の子供ってファーストフードや、レトルトの物に食べ慣れていますよね。確かに、子供が美味しいと思う気持ちはわかるし、親もラクできるのが本音です。ただ、その味を"旨み"だと思ってしまうと、日本人の舌がなくなるなって。実際に僕よりも一回り下の世代になると、お味噌汁の味が美味しいと感じなくなっているんですよ。だからこそ、なんとかして日本の良さを発信していきたいです。

どうすればその想いを発信していけると思いますか?

長谷川

もちろん、そう簡単には発信できません。いきなり親や子供に教えようと思っても、なかなか伝わらないです。自分の言葉にもっと重みを置くためにも、努力しなければいけないと感じています。それと、このままじゃいけないなって気づいてもらえるような環境が必要ですよね。だからこそ、せめて自分のお店に来て頂いたお客さんには、今、食べている物が明日の自分を作るということを伝えていきたいと思っています。

女性なら、化粧品のように外からコラーゲンを取るんじゃなくて、食べて体の中から綺麗になるほうが良いですし。中高生が、遊ぶためにお金を使いたいから食べる物は菓子パンでいいや、みたいな感覚を変えていかないと。あとは、親が子供の健康を考えて、ファーストフードじゃなくて家でサンドイッチを作るとか。そうじゃないと、おふくろの味がファーストトフードになってしまいます。いくら日本料理を広めていこうと思っても、下の世代が今の感覚のままなら上手くいかないと思いますね。

ご自身でお店を開いて、苦労されていることはありますか?

長谷川

自分を律してくれる上の人がいないことです。教えてくれる人がお客さんになるんですよね。孤独っていうのかな。雇われているうちは、言われた仕事と、やらなきゃいけないことをしていればお金はもらえます。それに、そのお金で生活もしていけます。極論で言うと、雇われているほうが楽ですよ。だから、なんで店を開いたんだろうって思いますよね。(笑)雇われているときは、社長って自由で…なんて思うけど、そんなことはないです。実際は365日、店のことやスタッフのことを考えてるんだってことを身に染みて感じます。

もちろん周りのスタッフはチームだし、支えてくれています。でも、何かあったときには、自分が腹を括って決断していかないと。店はもちろん、自分を信じてついてきてくれているスタッフを守るのが僕の仕事だと思っています。

店主としての強い覚悟を感じますね。

長谷川

今の世の中で、会社も店も、新しく何かを作ってやっていくって本当に大変です。僕が雇われていたときに感じたことは、給料をもらっている分を働くということは、仕事として当たり前のことです。そして働くということは、それにプラスして、自分に投資してもらっている分を返していかなきゃいけないと思います。そのためには、自分が給料以上の働きをしないといけない。社長が従業員を支えている感覚と、従業員が支えてもらっている感覚は、そこでやっと対等になるのかなと思います。だから、20歳から30歳くらいまで色々なことを考えて、そこから先は社会に返していかなきゃいけないと思います。そうじゃないと人として未熟なままで終わってしまうのかなと。うまく言えないですけど。

若い世代の人たちにぜひ聞いてもらいたいメッセージですね。

長谷川

僕の店で働いてくれているスタッフもみんながんばってくれていますし、働きたいと来てくれる子もいます。だけど今って、「安定したいです。」って言う子が多いなって感じます。給料とか、福利厚生とか、安定したいっていう気持ちはもちろんあって良いと思います。でも、それ以上に何かしたいっていう気持ちがないと、伸びていかないのではないでしょうか。繁盛するお店を作りたいとか、何でも良いと思うんです。僕は、新しいものを作りたいという気持ちが強いんですよね。

日本料理って、特に、昔からのあるものを同じように作っていくのが、伝統的でかっこいいっていう感覚ではないでしょうか。季節なら、春は桜、夏は生い茂った緑、秋は落ち葉、冬は雪っていう表現をし続けるのが日本料理です。僕の場合、春がもっと別の斬新な表現でも良いのではないかなと思っています。でも、日本人がわかるホッとするようなベースがある。こういう感覚をこれからも料理で表現していきたいですね。

長谷川在佑 プロフィール

1978年6月2日生、東京都出身。18歳より「神楽坂 うを徳」にて修行。その後、多数の料理店にて経験を積み、自身の母が経営する小料理屋にて1年間勤める。2007年29歳の時に独立、神保町に「神保町 傳」をオープン。3年目にして、レストランガイドブック ミシュラン2011年版にて星を獲得。

 

 

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